Human Interface: 2006年9月アーカイブ
ちょっと珍しくまじめなことを書いてみました.
特にオチはありません. 期待しないでください.
週末 金,土,日 と無理をしすぎたのか,体調を崩し風邪をひき会社を休んだ.
今日締め切りの仕事はないと言え,ダメ社会人...
ずっと寝込んでた. そしていっぱい夢を見た.
現実と夢の狭間のような状況でいや~な感覚になりつつも,金縛りをといてやっと起きたり,誰かに襲われ,助けを求めたところで目が覚める様な恐ろしい夢も珍しく見たが,不思議な感覚の夢を見た.
小学生のような男の子 3,4人 が自転車で田舎を走る. もちろんその中には自分も居る.
広大な景色の中に川を見つけ,川で泳ぐ.
水田があればその中に入って遊ぶ. が,田んぼのおじさんに怒られ逃げる.
自転車で旅をしながら,夜は野宿.
山があれば登る. 簡単には登ることは出来ない. みんなで協力して苦労を重ね,やっと頂上まで登る.
お世話になった人の家を見つけ挨拶をする. お世話になった人は既に亡くなっていた. お線香をあげる.
出会う人々は大人も子供も含め全て,いつか会ったような気がする,懐かしい人々ばかり.
ちょとしたアドベンチャー & ノスタルジックな夢だった.
ハッと目が覚める. そして瞬間思った.
今見た夢は本当に夢だったのだろうか?
それとも,自分の子供のころの実体験?
個々の体験を考えると,似たようなことはしたことがあるかも知れないけど,冷静に考えるとこんな経験はしたことはないはず.
でも,自分の記憶の一部のような気がしてならない.
実際に過去に体験したような感覚が身を包んだ.
記憶の生成というと,もうだいぶ前のことであるがこういう話があった.
クラブでの他愛の無い話であるが,お菓子の話をしていた時のこと.
A さん 「 ナボナ美味しいよね 」
B さん 「 そうだよね~ 」
そして,ナボナの話で盛り上がる. 後日,
A さん 「 この前ナボナの話したよね? 」
B さん 「 ? そうだっけ? 」
そこで気になった A さんは,B さんとは勘違いと思い C さんにメール
A さん 「 突然だけど,この前ナボナの話したっけ? 」
C さん 「 そうだった様な気もする... 」
人間の記憶って,何って曖昧なんだろう. 記憶はこうして一人歩きする.
記憶の中から,新たな事実が作り出される.
そしてもうひとつ,記憶の消滅について考えたことを思い出した.
今年のいつだか忘れたが数ヶ月前,NHK BS デジタルで 『 ナイロン100℃ 公演 - 消失 @ 紀伊国屋ホール - 作・演出 ケラリーノ・サンドロヴィッチ 』 の劇場中継をやっていた.
普段演劇なんか見ない自分だけど,大倉孝二,八嶋智人 が出演していたので,ちょっと気になって見ていた.
人間の記憶って何だろう?
忘れたくても簡単に忘れられない記憶がある.
大事なことなのにいざという時に思い出せない記憶もある.
チャレンジを行うためには過去の記憶から最大限に検討・分析し,更なるステップアップを行わなければならない.
その中で,今,頭の中にあるこの記憶は,本当に自分の体験なのだろうか?
とある記憶を自分の中で消化し,頭で検証を重ねるうちに,勝手に無かったことにすることもある.
また,とある記憶が,自分の中で思わず発展して,実際でもうまく行くこともある. 乗ってるときは何をやっても調子が良い.
記憶力が増強する薬が現在研究中であると言われている ( 実用化は10年後程度と想定 ).
また,人間と電子機器の間でデータをやり取りするインターフェースは日々進化を続けている. ( 以下のリンクはちょっと古いので,最近ので探せばもっと進化しているはずです )
で,要は何が言いたいかというと,人間の記憶に直接アクセスするところまで技術は近づきつつある現在では,記憶をデータと捉えつつ日々進化を遂げている. 一方,人間の記憶そのものというのはいかに曖昧なものであるかということを,自分が忘れない為に書いてみたのですが,全然,話がまとまらない...
とりあえずこれで終了.